「サービス行為」を愛の言語で持つ人が求めるもの〈5つの愛の言語シリーズ〉

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人は皆、特定の方法を通して愛を受け取ろうとし、また愛を表そうとする。

僕にとって一番大切な愛情表現の方法は、「言葉」で愛を表してもらうことだ。

そのことは、「肯定的な言葉」を愛の言葉で持つ人が求めるもの <5つの愛の言語シリーズ>で書いた。

今日は、「サービス行為」を愛の言語として持っている人が具体的にどうやって愛を表して欲しいと願っているかに書いてみようと思う。

サービス行為とは(愛の言語)

「サービス行為」とは、自分の身の回りの世話や、マッサージをしてもらうこと等、パートナーの具体的な行動を通して愛を感じ、受け取る愛の言語だ。

我が妻の愛の言語はまさに「サービス行為」だ。

だから以前の記事にも書いたが、言葉で一生懸命愛を伝えようとする僕に対して、「言葉だけじゃなく行動して愛を示せよ」と怒った。

サービス行為の人が求める事

「サービス行為」を愛の言語として持っている人は、本来なら自分がやるべき家事や雑事を肩代わりしてもらったり、自分のために特別な何かをしてもらった時に愛を感じる。

例えば、我が家の場合は掃除は基本的に妻がやっている。

しかし、僕が休みの日などに妻が掃除を始める前に僕がパパッと掃除をしたりすると、その時に愛を感じるのだ。

ここで大切なポイントは、必要を察して自発的にするという事だ。

いちいち、「~した方が良い?」と聞くと、その質問の背後に「本当はやりたくないけど、必要ならやってあげようか?」という本音が見え隠れしてしまう。

そんな風にワザワザ質問しなくたって、やってあげようという気があるなら黙ってやれば良いのだ。

何か自分の愛情表現をアピールしたいなら、「最近忙しくて大変でしょ。だから今日の〇〇は僕がやるよ」くらいが良い。

また、最近は共働きが当たり前で、家事を分担してやっているという家庭も多いだろう。

そういう家庭で注意して欲しいのは、自分が担当している家事をやっただけで満足しないという事だ。

我が家の場合

我が家の場合、夕食後の皿洗いは僕の仕事だ。

それは家事の役割分担として2人で決めた事だ。

だから、僕は夕食後に毎日お皿を洗う。

しかし、このお皿洗いの行為は愛情表現として妻の中ではカウントされない。

なぜなら、それは決め事だからだ。

だから、家事の役割分担をしている家庭では、「自分に割り当てられた家事をキチンとしているから、自分の愛情はパートナーに伝わっているだろう」などと甘えた事を考えてはいけない。

むしろ、割り振られていない家事をするくらいでければ、愛情表現として成立しないのだ。

愛情を表すのって犠牲が伴うものなんです。

愛を表す方法もサービス行為

逆に「サービス行為」を愛の言語として持っている人は、相手がやるべき事を肩代わりする事を通して愛情を表現しようとする。

我が家の場合だと、仕事が忙しく、仕事を家に持ち帰ることが続いたりしている時、妻は僕の仕事である夕食後の皿洗いを肩代わりしてくれたりする。

そうやって疲れている僕の負担を少しでも減らすように動く事を通して愛情を表現してくれているのだ。

またサービス行為を通しての愛情表現の方法は、何も家事の負担だけに限らない。

もし料理好きな人であるなら、手の込んだ豪華な食事を作る事で愛情を表す人もいるし、パートナーをマッサージしたりする事を通して愛情を表そうとする人もいるだろう。

そのように、パートナーのために「普段はしない何かする事」が「サービス行為」を愛の言語として持つ人にとっての愛情表現の方法なのだ。

サービス行為の人にとって嫌なこと

「サービス行為」を愛の言語として持つ人が一番嫌なことは、大変な状況に置かれている時にパートナーが自分のために何もしてくれない事だ。

専業主婦でも、病気になって寝込んでいる、仕事や育児が忙しくなり疲れてしまっている、子供が病気になって看病に追われているなど、大変な時がある。

その時に、パートナーが普段通りの事しかしてくれない時、愛されていないと感じてしまう。

だから、パートナーの様子をしっかりと見ている事、気にかけている事が大切だ。

愛の言語がサービス行為の場合、言葉よりも行動が大切!

kaboompics / Pixabay

今回の記事を書くためには妻から色々とヒアリングを行った。

そこで改めて、持っている愛の言語が違うが故の考え方の違いを知って、驚いた。

僕が忙しい時に妻は良く食器洗いを肩代わりしてくれる。

僕は妻のそのような申し出に対して「多少楽になるからありがたいな」くらいの感想しか持っていなかった。

ところが、妻はその事を通して僕に愛を表そうとしていたという事を聞いて驚いた。

僕自身は全くそんな風に受け取っていなかったからだ。

愛の言語が違えば、愛情表現が違い、それ故にすれ違いが起きるという事をまさに目の当たりにしたのだ。

分かっていると思っていたけど、分かっていない事がまだまだあるのです。

だから結婚生活は難しいし、面白い。

僕もこれからもっと、妻に愛を表すために(面倒臭いけど)頑張ろうと思う。


管理人@妻のコメント

ちょうどこのサービス行為に関して旦那が私にヒアリングをしたとき、私は旦那に不満を抱いていました。

この前旦那は久しぶりに代休を取って3日間休みだったのですが、私は子供の健診や病院などで忙しく、その3日間で半日しか自分の時間がなかったんです。

(同じスパンで動いているので他に私に休みはなし。)

自分が3日間も休みなら、普段の家事にプラスしてやれてない部分の掃除や洋服ダンスの整理など、家の中でやることなんていっぱいあるわけです。

だけど、旦那が3日間休みでやってくれた家事は、皿洗いと、2回洗濯物を干してくれて、一回掃除機かけてくれただけ。

あとはずーっと自分のやりたいことをやっていた旦那に対して不満でした。

なぜ私だけ家事も子供のことも仕事のことも責任を負い、旦那は仕事だけで良いのか。

畳んだだけで収納はしてくれない洗濯物、以前担当に振っていても頼んでも決してやらないトイレ掃除とお風呂掃除(浴槽だけはたまに洗ってくれるけど)。

掃除機は一回かけたら終わりなのかと。

アイロンがけ担当を最近旦那に変更したけど、それすらされてない。

旦那がやらない家事は全て私がやっている、やらざるおえないことを、言っても「わかった。」と言いつつすぐ忘れる。理解してない。

たまに、夕方疲れて寝転がってパワー充電している私に、珍しく早く帰ってきた旦那が

「(朝、昼の)食器、洗おうか?」

と聞いてくれることがある。

おそらく、何もやってくれない、声もかけてくれない旦那より断然マシなんだと思います。

だけど、食器洗いなんて絶対にやらないといけないものなんだから、自分に余力があるなら

「疲れてるみたいだし、食器洗っとくよ。」

と言って欲しい。

寝転がってはいても、これから何をどういう手順で料理しようか考えてたり、仕事や子供のことを考えてたり、思考はフル回転のときも多い。

「洗おうか?」と聞かれると、「旦那は今仕事が過渡期ではなかったか。体力に余裕はあったか。頼んでも旦那がつぶれないか。大丈夫か。」をさらに考える必要が出てくる。

で、考えるのも面倒なときは「いや、いい。自分でやるから置いておいて。」と答える。

「なんで?僕がやった方が楽でしょう。」って返答が来るんだけど、それなら最初から聞かないでやって欲しい。

聞かれると、恩着せがましいと思ってしまう。

なぜ家事はいつも私が頼む側でお願いしないといけないのか、やってくれないのかと思う。

ヒアリングのとき、旦那は正直「面倒だな。」と思ったそうです。

肯定的な言葉の記事の私のコメントと同じです。

でも、愛の言語がサービス行為かどうかに関わらず、家事はやれる時にやれる方が率先してやって良いと思うのです。

ゴミ捨てや朝のご飯準備は旦那なしでは成り立たないので感謝しているのですが、私の愛の言語がサービス行為のために、旦那に求め過ぎてるのでしょうか。

いっそ、旦那の休みが無い方が妬まなくて良くて平和かもと思った次第です。

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