この間、妻と話している時に、妻の友人の娘が私立中学校に進学したという話題が出た。
そこから、「我が家の子供達にどのような教育を与えるべきなのか」という事について話す機会になった。
子の習い事
我が家には、幼稚園年長の長女と保育園に通う次女がいる。
長女は英語教室とピアノ教室に通わせており、次女はまだ習い事をしていない。
子供にどんな習い事をさせるかというのは親として悩むところだと思う。
妻の話を聞いていると、幼稚園くらいの子供にさせる習い事で定番なのは、ピアノ、英語、体操、水泳、学習教室というところのようだ。
これが小学校に上がれば、学習塾が必須になり、中学になれば高校受験はどうするか、高校に入れば大学受験はどうするのかという話になる。
だから親は子供の将来の事だけではなく、教育費のことも含めて色々と考えなければならないことが多くなる。
まあ、お金が無限にあれば何でも子供が好きなことをやらせたり出来ますけどね。
生憎、我が家に無限のお金は無いのです。
そうすると、限りある経済資源を子供の教育のどの分野のために使うのかというのは親として切実な問題になる訳で。。。
中学受験?
長女はもう小学校入学が間近に迫っている。
「今は英語とピアノで済んでいる長女の習い事に、さらに塾という選択肢が増えるのは時間の問題だね。」、
みたいな話を妻としながら、
「でも勉強させているだけで、良い成績がとれて、良い学歴を得るだけで将来について安心していて良いのかね。」という話になったのだ。
最近、僕ら夫婦の周りで私立中学受験を目指している家庭が多い。
子供の将来を考えるなら、少しでも早い段階で良い学校に通わせた方が良いと考えるのは良く分かる。
「学歴社会は終わった」なんて言われる昨今だが、だからと言って日本社会で生きていく上で学歴がどうでも良くなった訳では無いからだ。
子供達の将来の事を考えると、「学歴なんかそれほど大事じゃ無いさ」なんて無責任なことを簡単には言えない。
ただそう考える一方で、「子供達が受ける教育、子供達の学歴が将来を考える上で最も大切なことだ」とも言えないようにも思う。
社会的な成功、経済的な裕福さの獲得が必ずしも娘たちの人生に幸せをもたらす訳ではない現実を、今の日本社会が露わにしているように感じるからだ。
大手企業に入社できたとて
ちょっと前に、大手広告会社の社員の方が自殺をしたという事がニュースになった。
あのニュースを見た時に真っ先に思ったことは、その方のご両親の気持ちだった。
大手広告会社に入社したと言えば、一般的に言って就職活動における成功者、また社会的に言っても将来の勝ち組に属する人だと言えるだろう。
親としても大喜びだっただろう。
ところが、幸せを招くはずの超一流企業への入社が一転、結果として最悪の結末へと結びついてしまったのだ。
どれだけ悔しく悲しい思いをしているだろうと思ったのだ。
この事件ほどでは無くても、超一流、一流と呼ばれる企業に就職して、その結果、精神的に疲れ果ててしまう人、そして人生の意味を見失ってしまう人が日本には多くいる。
「七日間と夫婦の形」の記事で書いた三菱に勤めて熟年離婚をした男性の話なんかはそうした現実の具体例と言えるだろう。
そういう現実を見る時、良い学校を卒業し、良い会社に就職することは本当の意味で子供達の幸せに繋がるのだろうかと考えてしまう。
勉強以外の分野?
一方で、勉強以外の教育に対して熱心な親も一定数いる。
スポーツや音楽などの専門分野の教育に熱心なタイプだ。
小さい頃から子供をサッカー教室やピアノ教室、最近ならアイススケート教室や将棋教室なんかに通わせて、「目指せ第2、第3の有名アスリート/音楽家!」みたいな感じの家庭だ。
子供の将来という面ではこちらの方がより狭く、厳しい競争の中に子供を置くことになっていると思う。
だけど、成功した時に子どもと親へのリターンも果てしなく大きい。
そうやって言うと、子供への教育がまるで親のためのギャンブルみたいだけど。
ただ、こういう専門的な分野に進ませるためには、子供に才能がある事と、子供自身のやる気というのが必須条件だと思う。
最悪、才能については分からなくても、子供にやる気があるかどうかだけは親としてしっかり見極めてあげて欲しいと願う。
独断と偏見に満ちた意見だけど、この手の親にありがちかなと思う事は、「子ども自身の意思ではなく、親の夢を背負わせれて、親の自己実現のために子どもが利用されているケースが少なからずあるんじゃないかなぁ。」と思ってしまうからだ。
あくまで、僕個人の独断と偏見に基づく意見なので、あまり気にしないで欲しいけど。
勉強の他に大切だと思うこと
とは言うものの、日本では「勉強が出来る事=幸せな人生への近道」という考え方がまだまだ一般的だし、根強いのではないかとは感じる。
なぜなら、親である自分たちもそうやって育てられてきたし、親にとって学歴は子供の将来を考える上で分りやすい指標だからだ。
ただ、僕個人としては、子供に勉強だけしっかりさせて、「よし、これで将来は大丈夫」と考えるのは時代的に言って、もう難しいだろうなと思う。
じゃあ、子供達の将来のために親である僕たちがしてあげられる事、与えてあげられるものが「良い教育」以外に何あるのかと言うと、それは教養ではないかと思う。
もう少し正確に言うなら、教養を伸ばすためのキッカケとなる体験こそ親が子供の将来のために与えられる最も大切なものではないかと思うのだ。
体験することの大切さ
僕の個人的な体験だが、子供の頃は良く本を読んだ。
本をよく読むようになったキッカケは、子供の頃に父に買ってもらった一冊の本だった。
それは大人向けの星座の本で、本には星座を構成する星についてと、それにまつわるギリシャ神話が載っていたのだ。
僕はその本を親によく読んでもらい、ギリシャ神話が好きになった。
小学校にあがってからは、図書館にあるすべてのギリシャ神話の本を読んだくらいだ。
そこから「物語」に興味を持ち、沢山の本を読んだ。
そして、そうして積み重ねてきた読書経験は今の僕の人生を豊かにしている1つの大きな要素だと感じている。
だから子育てをする上で、そうした良い「原体験」を子供が小さい時にどれだけ与えられるかというのが親として大切なんじゃないかと思うのだ。
妻と会話をしていてそう思ったので、とりあえず娘の教養教育のために夜寝る前に本の読み聞かせをすることにしました。
妻補足:
『「賢い子」を育てる100のおはなし』は、1つのお話が3ページ+挿絵が1ページを基準にしている本です。
絵本よりは字が多い本ですが、年長の長女は興味津々。
まだ「マッチ売りの少女」の「(既に亡くなっている)おばあさんに連れられていきました。」というような、曖昧な表現が何を意味しているかは汲み取れない様子。
次女にはまだ早いようで興味なしです。