25年越しの「落とし前」:シンエヴァンゲリオンの感想

ついに・・・ついに観ることが出来たぁーーー!

 

ついに公開された「シンエヴァンゲリオン」を夫婦で観てきました。

大袈裟かもしれないけど、ちょっとした我らが夫婦の悲願を達成!

折角なので、ネタバレ込みで感想を残しておこうと思う。

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夫婦でシンエヴァンゲリオンを見てきました。

いやね、新劇を夫婦で映画館で見るのが結婚してからの我らの悲願だったのですよ。
「序」が上映されたのは結婚する前。
しかし、どうせこれまでの話の総集編みたいな立ち位置なのだろうと思いパス。 
結婚した直後に「破」が上映されていたのですが、その時にはちょうど夫婦で海外にいたため見ることが出来ず。
さらに「Q」が上映された時は出産直後で、しかも私も仕事が大変な時期で全く余裕が無く・・・
「次の作品こそは夫婦で映画館で観たいね」と話していたのです。
昨年の6月にシンエヴァンゲリオンの上映が決まったものの、新型コロナの緊急事態宣言が出たことにより公開延期。
さらに2021年1月に公開が決まったにも関わらず、再び緊急事態宣言が出て公開延期。
果たして本当に観に行けるのだろうかという感じでしたが、ついに観てきました。
内容的にも良かったのですが、それ以上にやっと夫婦揃っての願いがかなったことにちょっとした感慨を感じてしまいましたよ。

エヴァンゲリオンがテレビで放映されて25年・・・

テレビ放送時はちょうど中学生。
当時から、何かと大きな話題になり、特にテレビ版で「おめでとう。おめでとう」を連呼するエンディングを見てテレビの前でポカンとさせられ、「ちゃんと終わらせる」と豪語して放映された旧劇2部作はまさかの「気持ち悪い」エンド。

当時は友人と一緒に映画を観にいったけれど、あのエンディングを見て、その友人はエヴァを嫌いになりましたよ。

あんなにエヴァが大好きだったのに・・・

そんなこんなで、何かと期待を裏切られ続けてきた作品だっただけに、シンエヴァを観るまでは不安で仕方なかった・・・
正直、これでもう1回、「おめでとう」ってやられたらどうしようかと思いましたよ。
でもね、観れて良かったよ。
やっと25年越しにエヴァンゲリオンに対して「落とし前」をつけてもらえた、そんな気持ちですね。

映画を観てのちょっとした感想を書いていこうと思う。
ここからはちょこちょこネタバレを書いていくので、まだ映画を観てない人は気をつけて下さい。

ついに大人になったシンジ君

アニメ放送開始から25年、シンジ君はずっと成長することなく、足踏みを続けていた。

でも、シンエヴァでついに、シンジ君が成長して一歩を踏み出した。

感無量ですね。


これまでシンジ君は親に頼まれ、人に頼まれてエヴァパイロットとしてずっとエヴァに乗り続けていた。

自分で決めるのではなく、人から言われるままに、人の指示に従って行動してきたシンジ君は、悪いことがあると全部人のせい。

  • 自分がやりたくてやったんじゃない。
  • 仕方なかったんだ。

自分の意思でエヴァに乗っても、何か悪いことがあると、「こんなことになるなら、エバに乗らなければ良かった」と言ってしまう。
そんな子供、未熟な人間として描かれ続けてきました。

でも、そんなシンジ君がついに、自分で決めて行動し、自分の行動に自分で責任を取ろうとする成長を遂げて見せましたよ。
この展開を見た時、そう言えばエヴァンゲリオンって主人公の成長が描かれてなかったと思い当たった。

成長したシンジ君は、未熟な父親のゲンドウとも真っ直ぐに向き合う。
「お父さんの事をちゃんと知りたいんだ」と真っ直ぐに自分と向き合おうとする息子、シンジ。

その息子の視線に中々向き合えないゲンドウ。
父と息子というのは古来から多くの作品のテーマとして扱われ、現実の人生においても大きなテーマであり、課題ですよ。
ただエヴァンゲリオンはその壮大な親子関係(?)に世界が巻き込まれているところが洒落にならないところですが。
しかし、人間として一回り成長した息子、シンジに諭され、ついに父ゲンドウが我に帰って現実を見つめることが出来るようになった、というのが良かったなと思えるポイントだった。

まさかの、電車に乗ったのは父、ゲンドウ!

映画公開前に、妻とシンエヴァの内容について色々と話をしていた。
その時、1つの話題として上がったのは「シンエヴァでシンジ君は電車に乗るのか?」というものだ。

エヴァンゲリオンの作品としての特徴の1つは「心理描写がしつこい」と言う事。
特に、テレビ版ではシンジ君は何かと電車に乗っては「ああでもない、こうでもない」と自問自答を繰り返し、一部の視聴者をウンザリ(?)させてくれました。

「シンエヴァでシンジ君がまた電車に乗ったら嫌だな」と事前に妻と話していたのですが、まさかの電車に乗ったのはゲンドウでしたよ。
このシーンを見た時、妻は横で声を殺して爆笑してました。
しかも乗ってから降りるまでが早い。
流石、年の功といったところでしょうか。

旧劇のトラウマ(失敗)を挽回する展開の数々

シンエヴァを見ていると旧劇でやった演出を採用し、それを綺麗に挽回していくようなシーンが多いのが印象的だった。
先にあげた「電車に乗る」という演出もそうだが、他にも「巨大化するレイ」とか、「浜辺でシンジとアスカが2人でいるシーン」など、子供心に中々のトラウマを植え付けてくれた。
でもシンエヴァでは、これらテレビ版や旧劇で当時の視聴者にトラウマ(?)を植え付けた演出を採用し、それを綺麗にまとめて成仏(?)させているのが印象的だった。

リアルタイムでテレビ版からエヴァを見ている往年のファンのトラウマを洗い流すかのような見事なやり方。
特に、映画の最後で実写が採用されていたのには笑ってしまった。
これで庵野監督の心残りも全て綺麗に洗われましたね。

でも、映画が終わってから、「最初からこれをやっていれば良かったのに」とも思ったことは内緒。

庵野監督がエヴァから解放される物語

映画の最後の展開は、ヴィレのみんなが作ってくれた第3の槍を使ってシンジ君がエヴァの無い世界を再構築するというもの。
その中で、アスカやカヲル君、レイの心の整理を行い、自分自身も母、ユイの助けによって新しい世界へと送り出されていく。
それぞれが、自分の心に抱えた問題と向き合って、それに区切りをつけて、全く新しい世界の中で生きるために送り出されていく。
それを見ながら、「そもそも庵野監督は、テレビ版の方ではコレをやりたかったんだろうなぁ」と思った。
でも、精神的な限界が来て、全てを放り投げて「おめでとう」で終了させるという力技を使った。
そして25年という時間を経て、やっとこの最後を描くだけの力というか、余裕というか、アイディアを得ることが出来た、という所だろうか。

またシンエヴァでは、これまでずっと謎に包まれていた様々なことがセリフとしてはっきりと語られている。

  • 人類補完計画はなぜ必要だったのか。
  • そもそも、この計画は誰によって考えられたのか、等・・・

新劇というよりエヴァンゲリオンという作品の中でもこれまで語られていなかった事が、はっきりと語られる。

それを見ながら、「ああ、庵野監督はこの作品でキッパリとエヴァから卒業するつもりなんだな」と思った。

勿論、全ての謎が明らかになった訳で無いけれど、主要な謎についてはほぼ明らかになったんじゃ無いかな?

まだまだ、考察というのは出るだろうけど、これ以上エヴァンゲリオンについて公式から新しいものが出てくるのは望み薄なんだなと思わされた。

シンエヴァを見た人たちの感想を見て思うこと

映画を観たあと、これまで徹底的に避け続けてきたネタバレ感想をネットで見た。
色々な感想があって面白かったけれど、その中で特に印象的だったのが、「シンジ君に置いていかれた、取り残された」という感想。

「これまで自分たちと同じところに立っていたシンジ君が突然大人になって、階段を登っていってしまった。そして、自分たちは下からシンジ君を見上げているような感覚に襲われた。」

この感想を読んで、なるほどなぁと思った。
25年前、少年、少女だった主要なファンたちも今や40〜50代くらい。
人間の成長というのは様々なベクトルがあるので一概には言えないけれど、中には当時と全く変わらない感覚で映画を観た人もいるのだろうと思う。
しかし、庵野監督はついにシンジ君に一歩を踏み出させて、少年から大人への階段を登らせた。
そうすると、それを観ているファンの中には「置いていかれた、取り残された」という感覚を覚える人もいるだろうなぁと思う。

自分としては映画を観た後の感想は、最初に書いた通り、「25年越しに落とし前をつけてもらえた」という思いが強い。
別にエヴァに囚われて生きていきた訳では無いけれど、それでも引っかかっていたものがやっと取れたような爽快さを覚えた。
「卒業」って感じだろうか。
庵野監督はこの映画の中でエヴァを終わらせるために徹底的に「終わり」を印象付けるような演出をしているので、「終劇」の文字を見たときに、「エヴァは終わったんだ」という感覚を殊更強く覚えるかもしれない。
ただ、観賞後の印象が悪かったという感想はほとんど見ないので、後味が悪い訳では無いことは確かだ。

次はシンウルトラマンだな。

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